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墓地

モンマルトル墓地

1825年に開設されたモンマルトル墓地。丘の斜面に広がる11ヘクタール超の敷地には、小道や墓廟が連なり、幾層もの記憶が刻まれています。

編集・選定 Arthur

モンマルトル墓地の木々に囲まれた石造りの墓と霊廟。

モンマルトルの静かな一角

現在も埋葬が行われるモンマルトル墓地では、歴史、建築、風景が交わります。敷地には21,000を超える墓所がありますが、ここは著名人の墓を巡るだけの場所ではありません。園路や礼拝堂があり、歩くにつれて眺めが変わる静かな街区のように感じられます。

文化遺産保護の違いを知ることも、訪れる意味の一つです。二つの墓地礼拝堂には歴史的記念物として個別の保護があり、墓地全体の景観は2024年から別制度の保護対象となっています。この違いを理解すると、建築と景観の両方がより深く見えてきます。

並木道に残る記憶をたどる

モンマルトル墓地では、周囲の街とは違う歩調を求められます。園路は散策を誘いますが、ここは今も埋葬と追悼の場です。静かに進めば、年代や建築、個々の物語が少しずつ現れ、著名人の墓を急いで巡るだけでは見えない場所の姿に気づけます。

1825年以前のシャン・デュ・ルポ

墓地が正式に開設されたのは1825年ですが、埋葬はそれより早く始まっていました。1798年には「シャン・デュ・ルポ」と呼ばれる墓域に墓所が設けられ、1811年には収容の限界に達していました。その後、現在のより大きな墓地が形づくられます。

この歴史を知ると、現在の墓地が1825年に突然始まったわけではないことがわかります。11ヘクタールを超える空間には、正式開設以前から続く墓地の歴史が残っています。現在は21,000を超える墓所があり、ラシェル大通りとガヌロン通りから入れます。

最初から全体を把握しようとせず、まず広さを感じてみてください。園路の連なり、高低差、次々に現れる記念碑が、記憶を中心に少しずつ築かれた小さな街を思わせます。

小道と建築家、保護された二つの礼拝堂

墓地の配置や葬祭建築に関わる建築家として、ピエール=レオナール・ロレシスクとジャック=イニャス・イトルフの名が挙げられます。その名は、個々の墓だけでなく、空間構成や動線、建築にも目を向けるきっかけになります。

二つの礼拝堂は、それぞれ異なる区分で保護されています。フルニエ礼拝堂は2013年に歴史的記念物として登録され、ポトツカ礼拝堂は2014年に歴史的記念物に指定されました。これらの保護は礼拝堂そのものが対象であり、墓地全体を歴史的記念物にするものではありません。

礼拝堂を孤立した作品ではなく、より大きな葬祭景観の一部として見てみましょう。異なる保護区分は、広い敷地の中から特定の建築を評価する文化遺産制度の仕組みも示しています。

2024年から守られる墓地全体の景観

墓地全体には、2024年4月29日の政令によって別の保護が加わりました。「モンマルトルと呼ばれる北墓地」がパリ市の保護対象地として指定され、景観全体が一つのまとまりとして認められています。これは歴史的記念物制度とは法的に異なります。

行政上の細かな違いに見えますが、場所の読み方を変える大切な点です。二つの礼拝堂は歴史的記念物制度で個別に保護され、広い墓地は歴史と景観の価値をもつ場所として保護されています。二つの制度を混同しないことで、両方の価値が明確になります。

こうした二重の保護は、モンマルトル墓地の価値が一つに限られないことを示しています。価値があるのは特定の建築だけでなく、小道、植栽、記念碑、追悼が織りなす景観そのものです。地図に印のない風景にも目を向ける時間を残してください。

実用情報

特定の墓所や礼拝堂を探す場合は、到着前に公式の墓地地図をダウンロードしておきましょう。主な入口はラシェル大通り20番地にあり、ガヌロン通りにも入口があります。広い敷地なので、利用する入口を先に決めると遠回りを避けられます。

開場状況は訪問直前にパリ市の公式ページで確認してください。現在も葬儀が行われ、遺族への配慮が最優先される場所です。声を抑え、掲示された規則に従い、行楽地ではなく追悼の場として歩きましょう。

アクセシビリティ

パリ市は、モンマルトル墓地を移動に制約のある人も利用できる場所として案内しています。

ただし同じ公式ページで、その説明は一部の区域に限られ、ほかの区域は行きにくいとも明記されています。敷地内の条件は場所によって異なり、全行程が段差なしであることを保証するものではありません。

写真クレジット

Ivonna Nowicka· CC BY-SA 4.0· Wikimedia Commons · サイズ調整済み。表示箇所によりトリミングが異なります。