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広場

ピガール広場

モンマルトルのふもとにあるピガール広場には、パリの古い市門、18世紀の彫刻家、そしてドガの「アプサント」の舞台となったカフェの記憶が残っています。

編集・選定 Arthur

2026年4月撮影のピガール広場。春の木々の下の噴水と、そばに座る人々、奥に並ぶ建物。

モンマルトルの入り口で

ピガール広場は丘の一部ではなく、モンマルトルへの入り口にあたる場所です。この円形の広場はパリ9区、クリシー大通りの南側にありますが、旧名「プラス・ド・ラ・バリエール・モンマルトル」は、モンマルトルの名を冠した旧入市税壁の市門を今に伝えています。

わずかな距離の中に、パリのいくつもの層が重なっています。隣の通りにアトリエを構えた彫刻家ジャン=バティスト・ピガール、ドガの「カフェにて」の舞台とされる芸術家たちのカフェ「ラ・ヌーヴェル・アテーヌ」、そしてエクトール・ギマールが設計し歴史的建造物に登録されたメトロ入口です。それを知れば、ただの交差点が歴史の一ページに変わります。

市門の記憶からドガのカフェへ

ピガール広場は、モンマルトルへの上り坂のことを考えながら足早に通り過ぎてしまうことの多い場所です。しかし、クリシー大通りに面したこの円形の広場は、それだけで小さな歴史の授業になります。1789年に決まった開設、彫刻家から借りた名前、近代の芸術家たちが集ったカフェ、そして歴史的建造物として保護されたメトロ入口です。

市門からピガール広場へ

広場は1789年1月16日の財務局令によって開設されました。当時の名は「プラス・ド・ラ・バリエール・モンマルトル」。パリが市内に入る物品に税を課した境界、旧入市税壁の市門にちなむ名前です。クリシー大通りは今もこの壁の線をたどっており、パリ側のピガール広場とブランシュ広場の間の区間は、かつて「モンマルトル巡回路(chemin de ronde de Montmartre)」と呼ばれていました。

現在の名前は1864年12月30日の命令で与えられました。由来は隣の通りで、その通りはパリ生まれの彫刻家ジャン=バティスト・ピガール(1714–1785)をたたえています。ピガールはこの通りにアトリエを構えていました。広場は円形で、公式の半径は37.5メートル。ピガールの噴水が広場を飾っています。

ドガ「アプサント」のカフェ

この広場は美術史にも名を残しています。ここにはカフェ「ラ・ヌーヴェル・アテーヌ」がありました。オルセー美術館は、1875年から1876年に描かれたエドガー・ドガの「カフェにて」(別名「アプサント」)の舞台をこのカフェと特定し、近代の芸術家たちの集いの場、ボヘミアンの知的な拠点だったと説明しています。

隣のテーブルからとらえたスナップ写真のように見える場面ですが、美術館によれば、その印象は入念に組み立てられたもので、絵は現地ではなくアトリエで描かれました。モデルは女優のエレン・アンドレと、画家で版画家のマルスラン・デブータンです。作品そのものはオルセー美術館で見ることができます。広場では、このカフェの記憶が場所に奥行きを与えています。

大通りのギマールの入口

メトロがもう一つの層を加えます。クリシー大通りの15番地の向かいにあるピガール駅の入口は、1900年にエクトール・ギマールがパリ地下鉄会社のために設計したもので、駅は1902年に開通したメトロ2号線の区間にあります。

入口の囲いは、2016年2月12日の命令により歴史的建造物に登録されています。この命令は、メトロのために作られ現存するギマールの作品全体を保護するものです。地下へ降りる前に、その曲線と文字をじっくり眺めてみてください。

ピガール広場の見学に長い時間は必要ありません。数分あれば噴水を見つけ、かつての市門を思い描き、クリシー大通りを進めます。西へ少し行くと、ブランシュ広場近くの82番地で、ムーラン・ルージュの赤い風車の羽根が大通りの物語を引き継ぎます。

実用情報

ピガール広場は入口も決まった順路もない公共の広場なので、モンマルトルへの散策に気軽に組み込めます。まず噴水を見てから、クリシー大通りの15番地の向かいにあるピガール駅のギマールの入口を探しましょう。

広場に面したデュペレ通りを進むと、22番地にデュペレ通りのバスケットボールコートがあります。二つの建物の間に収まったこのコートを、パリ市はストリートアートの作品として紹介しています。日常的に使われている運動場なので、プレーの邪魔にならないように見学しましょう。ムーラン・ルージュは同じ大通りを先へ進んだ82番地にあります。

写真クレジット

Paul de Belleville· CC0 1.0· Wikimedia Commons · サイズ調整済み。表示箇所によりトリミングが異なります。